自分史 第30話 第三章 終の棲家は何処へ

自分の歴史
息子成人式記念写真

母がなくなる前に自分の実家を自分で処分したあたりから

私はとても身軽になった気がした。

確かに自分が育った、そして愛した故郷を自分の手で絶つことは

とても辛かった。

もう戻るところがない。

いずれは処分するものだったということもあるが、

「もう失うものなんて何もない」

人は失うものは何もない、と思ったらとても強くなれる気がした。

そして同時に何も怖いものがない、

これからの人生は何があっても大丈夫な気がしていた。

2008年から2009年。

ちょうど息子は成人になった頃。

私も新たな気持ちで人生を踏み出そうとしていた。

そして、彼がイタリア留学をしたおかげでイタリア旅行もさせていただいた

息子成人式記念写真

息子成人式記念写真

イタリア旅行

義母、今は亡き叔母を連れてのイタリア旅行

HIME企画の仕事もそこそこ順調。

家庭では、旦那さまと2人きりの生活だったが、お互い忙しくなってきたのも、

お互いが社内以外でのフィールドを持つようになった頃だった。

 

母の亡くなったのは2011年3月初旬、その後震災があり、世の中の感性が少し変わったような感じがした。

ただ、私たちの住む名古屋はそれほどでもない。

一時、関東方面からの問い合わせも会社にはあったが、

関東以北の皆さんが心に感じるほどのものはなかったと思う。

 

息子は、イタリア留学して、4年の大学生活を終えると、

すっかり人が変わったようだ。

ラテン系の価値観を身に着けたのか、考えるパラダイムが広がっていた。

2011年は何とか息子は就職を決め、名古屋に戻ってきた。

全国に支店や営業所がある人材派遣会社なのに…なぜか名古屋に勤務。

人材派遣会社といっても、最初は派遣先の店舗などを自分で体験することから始まる

店舗営業。

その後は西日本を中心にあちこちの店舗へ泊まり込みで出かけていた。

これはけっこう辛いことのようで、途中ずっと続くホテル住まいに、

「毎日きれいなシーツで寝るのは苦痛…」とか言い始め、

心までつぶれそうになって戻ってくることもあったようだ。

一緒に入社した仲間がどんどん脱落していく中で、

何とか踏みとどまって2~3年経つと、彼は四国の支店長になる。

支店長といっても、これから四国支店を作るための立ち上げ要員。

たった1人から始まり、1~2年のうちに軌道に乗せた。

名古屋にいる頃よりはずっとたくましくなって楽しそうだった。

後に彼は名古屋支店長に抜擢され、一通りの支店長の仕事を覚えて

マルワに入社してくるのだった。

 


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