自分史 第28話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

自分の歴史
HIME企画設立のロゴ・封筒・会社案内

子育てのお話は一端終了。

ここで、少し私自身のことに戻ってみる。

私の父は、息子が7才の時に亡くなった。

もう少し小児科医として息子を診てほしかったのに。

70才だった。

数年前から肺を患っていた。

病院に入院している時も携帯電話を枕元に置いて、

患者さんとのやり取りをしていた。

 

ある時、お見舞いに行くと、私に

「こんなに痩せたら、みっともないな」

と鏡を見ながらぽろっと言った。

 

父は、ダンディだった。

一緒に飲みに行ったり、食事に行ったりしても、私は気分が良かった。

そんな父だから、自分が衰えていく姿に耐えられなかったのだろう。

ダンディのまま逝ってしまった。

 

もともと、一緒に暮らしていた時間は短く、離れていたので、

この世にいなくなっても、ずっとそばにいてくれる気がしている。

子どもと女性をこよなく愛し、小児科医としては最高で(と思っている)、

語学が好きで、旅もし、美味しいものも食べ、お酒も楽しみ

家庭を二つ持ち、波乱万丈で、

母は大変だったけど、

今となってはすべて許せる、大好きな父だった。

 

父とお別れをした頃、私は社内では経理の仕事をしていた。

私は会社に入ってから制作部、工務部を経て、

最後に義母から経理を引き継ぎつつあった。

中小企業では、経理を身内で行う場合が圧倒的に多い。

 

経理ソフトが世の中に出初めていたが、

義母や事務員は毎日手書きで帳簿を付け、伝票を書き、金勘定して、

月末にはこれまた手書きの諸表を作り上げていた。

給料計算もすべて手計算、おまけに私が引きついだ時には、

まだ現金で給料を支払っていたので、

お金を数えて給料袋に入れるのも大事な仕事となっていた。

しばらく私は、その様子を見て、そのまま真似た。

要するに仕事を覚えるには、まず真似ることから。

「守破離」の守。

 

義母も事務員もソロバンをパチパチはじいていたが、

私はそれができず、電卓をせっせとたたく。

 

1年くらい黙って真似ただろうか…

私はまず給与をデータ化するためのソフトを入れた。

あっという間に給料計算してくれるっていうやつ。

そして、それが納得してもらえると、次は財務ソフトに、販売ソフト。

毎日の伝票を入力すれば、月末には一気に財務諸表も売上管理もできる。

今となっては誰でも扱えるソフトであるが、

当時は自分が率先して扱っていった。

会社としては画期的な効率化になったと思う。

「守破離」の破。

 

実は、私は数字が大の苦手。

家計簿をつけても赤字の連続で、放り投げた。

でも、ここは仕事、産休中に簿記3級を取得、

その後会社に戻って、2級も取得。

簿記は意外と面白かった。

貸借対照表、損益計算書、借方と貸方の科目があって、

左右の金額が美しく等しくなるのに、私は感動した。

なるほど、世の中お金が動くということは、バランスが取れているんだ、

と気づく。。

物を買ってお金がでる。

物を売ってお金が入る。

こういうシンプルなお金の動きを経理の仕事は教えてくれた。

これもまた面白い。

経理も楽しい。

 

経理の仕事が分かってくると、やたらと営業さんの動きが目につくようになる。

経理にとっては回収できないことが一番気に入らない。

回収が遅れていることはもとより、

レスポンスの仕方や営業の仕方にさえ口をだすようになった私。

 

そして印刷のことをもっと知りたいと思ったのもその頃。

印刷部だけは経験していなかったので、

「印刷のこともわからないくせに…」と言われたくなかったから。

印刷技能士の試験に挑む。

中小企業の嫁は何でもやるのだ。

経理の座について10年近く経とうとしていたころである。

「そんなにうるさく言うなら、いっそ自分でやれば」

と言ったのば、現社長である旦那。

「何やるの?」

「自分で会社」

「自分で会社作るの?」

「そう…」

「えっ…」

と言われて、ちょっと大変そうだけど、面白そうと思い始めた。

その当時、印刷会社の中に「企画部」のある会社は珍しかった。

バブル崩壊はあまり影響なかったが、その後の景気低迷、

ネットプリントの出現。

今までのようにただ印刷すれば儲かる時代は終わっていった。

次への展開を考えて、私に託されたことは、

企画……

なんて難しくない、

というのも今までも今でもほんの思い付きで

生き抜いてきたから。

この思い付きの独りよがりこそ、企画だと思った。

HIME企画設立のロゴ・封筒・会社案内

HIME企画設立のロゴ・封筒・会社案内等々

「HIME企画」の10年は、別のブログに綴っていたので、

別にまとめて、いずれこの自分史ブログにつなげたいと思っている。

私はこの時50才、50にして立つ…?

会社の中だけにいた20年だったけど、

初めて外に出ることになる。

まさに

「守破離」の離…?

 

人生はいつだって「これから」です。

50才からもまだまだです。

 

 


タイトルとURLをコピーしました