自分史 第24話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

自分の歴史
卒所サイクリング出発

小学校4年のとき、息子は学校で野球部に入る。

そこで、とても野球の上手な友達に出会う。

4年生のある日、

「少年野球のチームに入りたい」というのである。

野球がうまくなりたいというのと、その友達が休みの日もそこで野球をして

楽しそうにみえたからだと思う。

 

私は、今まで何の文句も言わず、何の反抗もしなかった息子が、

初めて自分の強い意志を話したことに妙に感動して、

分かった、いいよ、聞いてみる、と息子にこたえた。

 

入りたいチームはどうやら、地元では有名なチーム。

メンバーは小学校の低学年から入っていて、兄弟で所属する子もいる。

そもそも4年生も終わり頃、そんな時期に入ることもイレギュラー。

そんなことも知らない私は、チームに頼み込む。

理解あるチームのまとめ役さんのおかげで、遅まきながら少年野球チームに入団。

 

学童保育という中での親の付き合いも新鮮だったが、

この少年野球も親としては驚くことが多かった。

子どもの学年と同じ親の上下関係がある。

学童ではほぼ存在しないヒエラルキーがあった。

そしてここでも親の出番は多い。

お茶当番、応援、車での送り迎え。

それまでのんびりしていた土日は一転して野球になる。

ただ、強いチームだったので、数々の大会で好成績を納め、

到底レギュラーにはなれない息子も、嬉しいおこぼれを頂戴していた。

補欠の補欠ゼッケン20番

補欠の補欠ゼッケン20番

小学校最後の2年間は、親子とも少年野球を体験。

 

そして小学校でなんといっても忘れられない体験が、学童保育の卒所サイクリング。

息子の入っていた学童独自の卒業行事なのだが、

なんと名古屋から琵琶湖まで往復200キロを自転車で走るのだ。

子どもだけじゃなく、6年生の親も…。

 

今思うと、子どもはともかく、自分はよくやったとほめてあげたい。

自転車はちょいちょい乗っていたが、近所のお買い物くらいでせいぜい往復2キロ。

親は強制ではなく、車での伴走も認められてはいたが、

ここは…挑戦するっきゃない私!

 

3月卒業式後に行われるが、さすがにいきなり琵琶湖には行けない。

寒い1月頃から練習が始まった。

まずは近場の往復、そこから豊田、犬山と段々距離を伸ばしていき、

いよいよ当日の朝となる。

卒所サイクリング出発

卒所サイクリング出発

晴天のぽかぽか陽気。

鍛えてきた足腰で順調な滑り出し。

サイクリング気分

サイクリング気分

こんな感じで余裕の笑顔。

サイクリング日和で予定通り4時頃には琵琶湖長浜の宿泊所に到着。

疲れを癒やす。

 

翌日、天気は前日と一変して小雨、そして風。

帰りは少しルートが変わり、伊吹山の麓を走る。

向かい風に雨…カッパはほぼ役にたたず、早々にずぶぬれ。

オマケに山のアップダウンに着いていけなくなった私は、

段々子ども達との距離があき、気が付けば一人山道を漕いでいる。

前にも後ろにも、誰もいない。

親を置いていくなんて~。と心で叫びながら、

伴走の親がここで止まったら、取り残される、単なる皆の迷惑だ。

私…何やってるんだろ、もうイヤだって半泣きになりながら

必死に次の休憩所を目指した。

 

やっとの思いで追いついて皆の顔が見えた時、ほんとにホッとした。

雨は名古屋市内に戻る頃、ようやく止み、晴れ間も見えだした。

あと少し。

親子全員完走達成!

 

この卒所サイクリングを終えて、子ども達はとても大きな自信となったに違いない。

そして何よりも私自身の大きな自信になった。

どんなに辛くても、やり抜けるって。

 

学童保育も、少年野球も子ども達だけでは成り立たない。

親の協力と理解があってこそ成り立つ。

そこでは自分の子どもだけを見ているわけではない。

時には他人の子どもも叱る、面倒をみる、指導もする。

チームや保育所全体で子どもを育てていくことは、とても勉強になる。

とかく自分の子のことしか考えないが、ここでは全体最適、

適材適所を考えなければ子どもは活かされない。

ことなかれ統一感を求める学校教育だけでは、学べない環境があった。

また、私は学校のPTA活動にほとんど関われなかったため、

学校での親同士の付き合いもなく小学校を終わったが、

この学童の親や、少年野球の親たちとは、ことあるごとに関わりが深く、

子どもの多様性のみならず、親の多様性も学ぶことができた。

小学校6年間は子どもも親も成長した時期だった。


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