自分史 第23話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

なし
入学式

2~3才が野外教室、4~6才は地元保育園に通う。

嫌がることもなく通ってくれたおかげで、私も順調に仕事に復帰。

保育園が終わるギリギリの時間まで勤めることができた。

ところが、困ったのは小学校に通う時。今のようにトワイライトの制度もないため、

部活もない低学年は保育園児よりも早く帰宅する。

いわゆる小1の壁。

 

もともと、子育ても考えて会社の近くに引っ越してきてはいたが、

いくら近くにいても、一年生早々、帰宅後は不安…。

どうしようか、と困っていた小学校入学前、

私は会社の近くに小学生らしき子どもたちが

帰宅後の時間を過ごしている場所をみつけた。

学童保育だった。

私は、その存在自体も良く知らず、まずは突撃して聞いてみた。

出てきたのは、茶髪のちょっと強面の若者、

その後にナマズひげのジャージのおじさん、いやお兄さんか…。

「学校帰りの子ども、預かってもらえるんですか?」

という唐突の質問に、

「はい・・・」

私としては、出てきた人たちの風貌から、若干不安はつのったが、

何しろ子ども達が楽しそうだったから、いいや~、と入所を決めた。

入学式

入学式

入ってから、いろいろ知ることになるわけだが、

まず驚いたのが、父母会というのがあって、この学童の経営は父母に任されていた。

よってそこには会社の経営と同じように、父母それぞれに役割があった。

会長、副会長、書記、会計。

私は会計を経験し、会社でいう経理の仕事を担当。

運営費をまかなうために、本格的バザーもあった。

そして、この学童の父母たちには、私の知らない世界がたくさんあった。

お母さんが夜間勤務もする看護婦さん、お父さんは居酒屋。

お母さんを送り出してから、子ども達を送り出すお父さん。

シングルマザーさんも。

それぞれの家族が生活のために、まさに力を合わせている姿があった。

特にお父さんの主夫ぶりは、

うちの旦那様が家事をやる大いなるきっかけになった。

してやったり!

 

 

日々、子どもを預けられるという安心のためには、

実は土、日には親の出番やイベントも多かった。

きついなと思うこともあったが、バザーの充実感や、

学童ならではのザバイバルなキャンプの醍醐味は、

決して自分たち家族だけでは味わえなかったと思う。

一人っ子の息子は、ここで縦割り社会も学ぶ。

上級生からちょっといじめられることもあったみたいだが、

それも社会に出ればアリだ。

何よりも下級生を弟や妹のように思いやる気持ちもここで養ったと思う。

小学校生活の思い出は、やはり共に体感したこの学童の存在は大きい。

運動会て゜のコマ回し

運動会て゜のコマ回し

 

この写真は、学童の運動会のひとコマだが、なんとコマを回しながら走る競技。

コマ回しもあれば、冬には竹馬駅伝というのもあった。

これ実は、かなり過酷…足の指が血まみれになったりして、

感動のゴールがある。

 

話は変わるが、私は子どもが生まれたら、これはやりたいと思っていたことがあった。

その一つがピアノの連弾。

学童に通わせつつも、私は子どもの可能性をつぶしちゃいけないという崇高な想いから、

ピアノ、お絵かき、英語、水泳、習字と、様々なお稽古事にも通わせ、

忙しい授業後をおくらせていた。

ピアノの連弾は、彼が3年生くらいの時に実現、父親にも登場いただき、

3連弾もした。

ピアノの連弾

ピアノの連弾

そして…、

結局たくさんのお稽古事から、彼が選んだのは、ピアノでも水泳でもなく…

なんと選択肢のない「野球」だった。

でも初めて息子が

「野球がやりたい」と自分の意志を伝えた、自我の目覚めと捉え、

すべてのお稽古を投げ打って、小学校高学年からは野球という

これまた、私にとっては初めての野球を通しての父母の付き合いがはじまった。

 


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