自分史 第22話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

なし
小児科医としての父

出産は修羅場だったものの、その後は順調だった。

当初女の子が生まれてくるはずだったけど、生まれる数週間前に、

「いや、男の子でした」ということになってあわてて名前を考える。

挨拶状

挨拶状

これは生まれて間もない息子を自分で描いたものを、内祝いのカードにした。

そして、子育てしていくうえで、なんと言っても安心だったのは、

父が小児科医だったこと。

小児科医としての父

小児科医としての父

この写真は小児科医の父として、孫と対面した貴重な写真。

医者として、産まれた時は大変だったみたいだけど、大丈夫心配ないね、

と太鼓判を押された。

「父」としては不十分だったけど、小児科医としては私の誇れる医者。

女と子どもが好きだから小児科医になったなんて言ってたけど、

代々続く小児科医としてそのメンタルもステキだった。

子ども達の命を守るお仕事だが、

そこに一緒に来る親を安心させてあげるという父の姿を見るのは好きだった。

そんな父に見守られて、すくすくと息子は育っていく。

子育ては楽しい。

2か月の頃

2か月の頃

スキンシップ

スキンシップ

 

ただ、私には会社がある。

いつまでも子育てだけしているわけにはいかなかった。

義母もまだその頃会社に通っていたので、ここは専業主婦の私の母の出番となる。

母は息子が離乳食を始める頃から、時々実家から出てきて、

面倒をみてくれた。

おかげて、私はボチボチと仕事に復帰できるようになった。

今でいう時短労働みたい。

2才になる前、私はたまたま新聞チラシで2歳児からの

野外幼児教室をみつけた。

何か楽しそうだし、元気になりそう。

1日おきではあったけど、とりあえず子どもを預かってくれるならいいや、

という気持ちで入れてみた。

バスがお迎えにくる初日、

絶対泣くぞ~と思っていたら、なんと、超ニコニコして、

「行ってきまーす」とバスに乗っていくではないか。

それからもずっと、泣くこともなく・・・

なんとも楽しそうな毎日。

面白かったのは、ある日バスから降りると何やら片手に掲げている。

メザシ?…だ。

「何それ?」と聞くと、

「オヤツ」という。

なるほど…そういうところなんだ、と改めて感心した。

親も時々行事に参加するのだか、川や海、田んぼ、

街中ではなかなかできない体験を積んだ。

おかけで、歩いたり走ったりすることは大好き、

どこまで歩いても「抱っこ」はせがまず、

臆病だったけど、どんなことにも挑戦する子になった。

全くどんなところか知らずして入れた野外教室だったけど、

ある時、イベントの打ち合わせで自宅にママたちに集合してもらったら、

乗ってきた車がベンツ、ボルボ…。

早々たる外車が集合して驚いた。

そう、意外にも野外教室に入れているのは、

お医者さんなどハイソサエティの親たちだった。

でもここでの2年間は後に子どもにとって、

変え難い時間になったのは間違いないと思った。

集団行動、時間を忘れて自然と遊ぶ楽しさ、

粘り強さ…そんなものを物心つく前に体得した。

川遊び

一緒に行事

ちなみに、この子、この2~3才の時、不思議なことを言った。

「ぼくね、お母さんのお腹の中で、暗い道を女の子と手をつないでいたんだ、

でもね、暗い道を抜ける時、その女の子の手を離しちゃったんだよね」という。

貴重な体内記憶を持つ子だった。

この記憶、合っていると思った私。

なぜなら、排卵誘発剤を飲んでいた私は、双子ができても不思議ではなかった。

実は双子だったかもしれない。

この話、大人になった今でも聞くと、はっきり覚えているという。

人類誕生の神秘。

 


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