自分史 第21話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

なし
こんにちは赤ちゃん

念願の「妊娠」を果たした私だったが、

妊娠して、8カ月くらいの健診のとき、先生から、

頭が見えてる・・・と言われ、

早産の可能性がある・・・と言われ、

出産予定の2か月前

それは暑い7月の初めのことだった。

妊娠してすぐ、絶対安静を命じられ、

そして出産2か月前にまた入院安静。

妊婦さんは大変だ~と思った次第。

 

とはいえ、ネガティブな入院ではないので、大部屋に入り、

6人ほどの妊婦さんと一緒の部屋で妊婦生活を共にした。

出産を前にこうして入院する人も多いんだ、ということをその時初めて知った。

 

不妊のときからお世話になっていた先生が、

愛知医大に勤めていて、大きな病院の方が何かと安心だからということで、

そのまま愛知医大に入院した。

病室にはすごく大きなお腹をかかえた双子出産を控えた人、

私のように切迫早産の人、

中には切迫流産で悲しい結果となり、

ひっそりと病室を退出する人もいた。

 

生命の誕生には、どんな審判がくだされるのか分からないが、

生まれるべくして生まれる命がここにはある。

 

とはいえ、私の入院生活はベッドから動けない、

出産を止める点滴をずっとしたまま、絶対安静。

ようするに、赤ちゃんがもう生まれてきても大丈夫というところまで、

出てくるのを止めている。

あと少し、という希望の日々でも、

この生活はかなりの苦痛だった。

 

7月も下旬、妊娠36週、先生から

「もう赤ちゃんの体重もあるし、そろそろ点滴外してもいいでしょ」

と言われ、もう私は嬉しくて嬉しくて、やっと自由の身になったとばかりに、

早速ベッドから出た。

と言っても、1か月近く寝たきりの私は完璧足腰が弱って上手く歩けない。

よろよろと病院内のコンビニに行くのが、やっとだったのだ。

と、その晩。

眠りにつこうと布団にもぐった瞬間、プチっとはじける感じかして・・・

と、同時にベッドが血の海に。

何が起こったかも分からず、とりあえずナースコール。

 

そのまま私は分娩控室みたいなところへ移された。

そこからは何が起こっていたか、よく覚えていないのだが、

眠気と陣痛が交互にやってきて、陣痛が遠のくと眠気に襲われ、

眠るとまた陣痛の繰り返し。

出血も多くモウロウとする中、

看護婦が右往左往。

修羅場の夜だった。

夜が明け、朝には少し落ち着きを取り戻したが、

「赤ちゃんの心拍数が下がっています!」の声が聞こえて、

昼近くにいよいよ分娩室。

がんばって!、と看護婦の声がしても、昨夜からほとんど何も口にしていないし、

昨日まで寝たきりだったので、力なんて入らないよ~。

と心の中で叫びつつ、お医者さまの声がする。

「小児科の先生を呼んで!」

苦しみながらも、えっ、どういうこと…という不安。

 

結局、へその緒を巻き付けた赤ちゃんは、鉗子分娩。

生まれた!

…はずなのに泣かない…。

仮死状態だった。

 

母子手帳に書かれている

 アプガールスコア(赤ちゃんが生まれてきたときの元気度を10点満点であらわす)

というのがあるが、3点以下は重症仮死。

彼は、3点…でも、小児科の先生も駆けつけていただいたかいがあって

5分後には8点。正常値まで戻ったが私と子どもとの初対面は保育器を通してだった

 

そして、携帯電話もない時代。

夜中に急変し、翌日のお昼まで苦しんだ出産の事態は、

家族の誰にも知らされず、1人で出産。

私は先生や看護婦に見守られていたが、出産後容態が落ち着いた数時間後、

私は看護婦さんに

「すみません、家族に電話してもらえませんか」

と言って、やっと知らせることができた次第、、

よくテレビなどで、旦那様が出産に立ちあって感動を共にするシーンがあるが、

私には考えられない世界。

出産は修羅場だったのだ。

 

こんにちは赤ちゃん

こんにちは赤ちゃん

 

 

保育器で初対面

保育器で初対面

とはいえ、無事に男の子を出産。

生死を彷徨って、一度は死にかけた彼の生命力はきっと強いと思う。

この、赤ちゃんにミルクをあげている写真は、私のお気に入り。

母としての幸福感満載。

出産はしんどかったけど、

旦那さまはともかくとして、子どもはいいね。

血がつながっている。

 

 

 


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