自分史 第19話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ


二度目の社会人をする。

 

当時の丸和印刷さんは、社員数20人くらい。

規模感は今とそんなに変わっていない。

 

職人さんが多いから今までの世界とは

レベルが違うわよ、と周りからも言われ脅かされて入った。

でも働く世界にレベルなんてない訳で、

何にしても新しい世界は面白い、と思える超ポジティブな私。

 

ところが、仕事そのものは目新しいことばかり。

小さな会社でも、営業さんがいて、工務がいて工場長がいて、制作部があって、印刷部がある。

今のマルワさんの前身。

そして、実は今とあまり変わっていないな。

と気づいたりして・・・。

 

私は、まず制作部に配属された。

今思えば、その部署がちょっと手薄だったんだと思う。

中小企業の嫁は、何でもやる。

 

何をするかというと・・・

タイプで文字を打つ仕事から・・・。

 

例えば今ならキーボードをたたいて、

体裁を整えるのに15分くらいでできてしまうような、

A4一枚の文書を作る。

 

これを手動タイプで作るのに、どうするかというと、

まず文字サイズを決める。

タイトル、本文、

と打ち込んでしまう前に、すべての出来上がりを想定する。

これだけの文章量を一枚に入れるには、どの文字サイズで打ち込んでいけば

きっちり最後まで収まるかということを、先に考えるのだ。

文字サイズが決まったら、文字間と行間のピッチを決めてやっと文字を打ち始める。

当時私はそれをつくるのに2時間くらいかかっていたと思う。

ベテランのおばちゃんは、30分くらいで作っていたが。

おまけにできあがっても文字の濃さにムラがある。

そう、力の入れ加減で均一に打てない、手動タイプだから。

先生をやっている時だって、確か電動タイプで力加減は関係なかったのに…。

少し時代遅れ。

 

そして、やっとできた~!

と、四苦八苦して提出しておくと、

「誰だ~! これを作ったのは!」

と、すごい剣幕で営業部長が入ってきた。

誰って、分かるでしょ・・・

と思いながら

 

「はい…私です」

「こんなもの持っていけるか、すぐやり直して」

と、怒鳴られ

めげる日々。

 

はたまた、イヤリングを着けて会社に行けば、

「そんなもの、仕事に必要ないわよ」

と一緒に仕事をしていた義母からも忠告。

 

 

所変われば、常識もかわる。

発見の日々、と今では明るく言えるけど、

やっぱり当時は家で泣いちゃう日もしばしば・・・。

転職そして、ちょっとだけ嫁姑の厳しさ。

 

とはいうものの、みんな社員さんは私に優しくしてくれた。

 

当時の写真を探したけど、なぜか社員旅行の写真しか見当たらなかったので

雰囲気をちょっとだけ

社員旅行

社員旅行 私は最後列右から2番目

しかも浴衣で飲んだくれてる写真はけっこうあった。

珍しい写真を一枚。

義父とカラオケ

義父とカラオケ

今は亡き、お義父さまとカラオケしているところ。

こんな嬉しそうな顔はめったにされない方だったけど、

中小企業の嫁は、何でもやる。

認めてもらっている感じ。

 

一方、まだ教師をしていた旦那さまの写真も飲み会が多い。

先生方と

先生方と

宴会

宴会

当時から、歌って踊る方のようでした。

 

そして、中小企業の嫁として働く私と、教員を続ける旦那様。

お休みの日は、大いに遊んだ。

教員の特権の夏休みを利用して、日本全国を旅行していた。

 

宮古島

 

宮古島でオープンカー

宮古島でオープンカー

夏のキャンペーン写真みたいな我々・・唯一の水着

夏のキャンペーン写真みたいな我々・・唯一の水着

 

東北

東北めぐり

東北めぐり

東京

東京

東京

 

それはそれで、たくさんの思い出を作った時だった。

 

ところが結婚して1年過ぎ・・・

周囲から「お子さんはまだ?」

という声が聞こえるようになった。

 

そう、子どもはすぐにできるものと思っていたのだが・・・

これが1年経っても2年目も・・・

子どもはできなかった。

 

私も30歳を過ぎ、早く子ども欲しいなーと思っていた頃だ。

 

そこで結婚して2年目の途中で、産婦人科に行ってみることにした。

 

 


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