自分史 第15話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

自分の歴史
学校をかわる時の皆の寄せ書きから

私の身勝手な行動が裁判…

しかも訴えられたのは、一番いけない私、ではなく鳥原先生

まさかの展開は、私たちの過ちに対する当然の天罰

だと思うが…

憂鬱な日々が始まった。

 

何しろ裁判というのは、お互いの正当性を成立させるために、自分は悪くない

相手が悪いのだ、とお互い正当性の争いとなるわけで、

本当は言いたくないことも言わなくてはならない。

だって、私が悪いんですから。

 

とはいうものの、私たちは直接調停に出向きたくない。

よって弁護士を立てる。

鳥原先生は25歳、私は27歳だったかな。

この若さで弁護士さんのご厄介になるとは。

 

弁護士は私の父の紹介だった。

父親も母親とのことで弁護士のさんのご厄介にはなっていたから、

その弁護士さんだった。

親が親なら子どもも子どもって…

 

寝とった方が勝ちなんだ! とまあ、訳の分からない自分の理論を私に言う父。

親子そろってどこまで勝手なんだろう。

と言いつつ、父は何があっても私の味方だった。

 

小学校からずっと離れて暮らす父親とも、まるで恋人同士みたいに時々、美味しいものを食べたり

お酒を飲んだり…そして少し酔っては

「何があっても僕は君の味方だよ。いつでも僕の港に戻ってくればいいからね」

なんてカッコイイことを言って、

でもそれが様になる父だった。

とはいうものの、子どもにとってこれほど心強い言葉はない。

私も子どもができてから、この言葉を我が子にもかけた。

『みんなが敵になっても、お母さんはあなたの味方よ』って。

 

 

調停はどれほどの時間続いたんだろうか…。

半年くらいかな…。

 

実は嫌いになった訳でもない元の旦那さまを攻めなければならず、

裁判にならなければ、言わなくてもいいことまで話さなくてはならず…

ほんとに辛く、嫌な時間だった。

 

ごめんなさい、ひどいことを言いました。

言いたくなかったです。

裁判の時間は、真実を逆に不可解なものにさせてしまう時間だったような気がする。

 

かといってその時の現実からはもう戻れない自分。。

 

でも、そういう辛い時間は二人を余計に結びつけるものである。

愛とか恋とかいうよりも…

そう

「意地でも」という感じだったと思う。

 

涙で目をはらしながら出勤した日もあった。

ただ子ども達の笑顔に救われながら、じっと日々を過ごした。

 

裁判は勝ち、負けというよりは和解という形で終了したと思う。

慰謝料をお支払して示談。

僅かながら貯めた貯金を全部はたいた。

まさしくゼロからの出発となった。

 

こんなことになった二人は次のステージに進むためにも、

私は学校を変わり、翌年4月には別の小学校に転任した。

 

皆さん、お騒がせしました。

温かく見守ってくださったことに心より感謝です。

学校をかわる時の皆の寄せ書きから

学校をかわる時の皆の寄せ書きか

変遷

変遷

 

 

 

 


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