ブログを一新します!


2006年の12月から続けてきたHIME企画のマーケッターHIMEのブログを刷新することにした。

10年という一区切りもいい、そして本日も12月末。

 

HIME企画も10年でやっと軌道に乗り、HIME企画という存在を少し知っていただき、株式会社マルワの中での「企画」という部署も確立した。

 

そして、今年私は60歳になった。歳のことはあまり触れたくないが、社員の規定集には65歳定年とうたわれている。

自分だって経営者ではなく、前職の教職だったら、来年の3月で退職だった。

そろそろ、次の人生考える時である。

 

そこで、これから何年生きていくか分からないけれど、自分自身の生きた証として、そして自分の存在価値を顕在化するために、家族や社員、自分と関わったすべての人に、そして自分自身への追悼として、これからしばらく自分のことを綴っていきたいと思います。

がこの世にいなくなる時に、自分自身が褒められるように、これからも生きていきたいと思う。

 

カテゴリーは、「自分の歴史」そして「現在のこと」、そして自分のこだわり「おしゃれ」のことに分けてみる。

刷新、第一話は「自分の歴史」からはじめていきます。

 

 

 

 

第 一 章

生まれた街で

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1956年5月14日、私は愛知県知多市長浦というところで水野由美として生まれた。

 

なぜこの土地だったかというお話をまずさせていただくと・・・。

 

岡崎の徳川家のご御殿医として代々続く医者の息子として生まれた父は、次男であったために家を継ぐ必要もなかったので、医者になり母との新居をいろいろ探していたようだった。

名古屋市内の南山あたりも候補地のひとつだったようだが、現在のようにおしゃれな場所ではなく、狸が出るような山だったらしい。よってそこは候補地から外された。

 

一方、当時大した娯楽もない時代、夏の避暑地として海水浴のできる別荘地は憧れの地だったようだ。そう、知多市長浦から新舞子、大野というところは当時海水浴場として有名で、長浦には素敵な別荘が何件もあったのを覚えている。

 

海水浴場から歩いて10分弱というゆるい坂の上に水野家は建てられた。

 

子どもの頃、家の前の畑から夕方西の方を見ると、伊勢湾そしてその向こうの鈴鹿の稜線が夕日の中に浮かび上がった。夕日の美しい場所…父の選んだ理由のひとつはこれだと思った。

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水野由美の「由美」はおばあちゃんからいただいた名前。

父の母は「よしみ」という。「よしみ」に自由の「由」と「美」しいという感じが当てられ、「ゆみ」と読む。そして私は、その名の通り生きていくことになる。

 

 

 

 

 


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