自分史 第14話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

自分の歴史
研究授業

私は、6年生を卒業させて、そして次は1年生という、華やかな学年を担任させていただいた。

小学校へ赴任すると、誰でも一度は担任してみたい学年である。

何と言ってもピカピカの1年生なのである。

『先生は神さまよ』と言っても「へー!そうなの~」と反応してくれる。

何とも素直でかわいい学年なのである。

 

あの小学校の1年から6年というのは、体も大きくなるが、

知恵もつき心も豊かになっていく時である。

だから、最初の1年生というのはけっこう重要だから、

やりがいが更にあるのかもしれない。

 

私はその頃、授業研究や子どもたちと過ごすのがとても楽しかった。

そして、教師として学校教育の中で流行っていた「合科教育」というのを進め、

当時研究指定校だったその小学校で私は、「合科教育」の研究授業をするという機会をいただいた。

教師4年目にして、名誉なことだったと思う。

 

「合科教育」というのは、その名の通り、教科を合わせて教えること。

特に低学年では国語、算数、理科、社会と別々に教えるよりも、

自分たちの生活に密着させながら、あらゆる科目を取り混ぜながら学習した方が分かりやすい。

 

そこで私は「ごっこ学習」を考えた。

「買物ごっこ」をするのだ。

社会にはどんなお店があり、何を売っていて、何を買うか。

そして誰からどうやって買うか、

お店をつくり、商品をつくり、お金を作って実際に買物ごっこをする。

今思い出してみると、いわゆるマーケティングのさわりを

子ども達とともに学んだと思う。

研究授業

研究授業

写真はその研究授業の風景。

 

そして、私はその頃、大学時代からずっと長かった髪をバッサリ切った。

一年担任

一年担任

 

おかっぱヘアになった。

ファッションも変えた。

モノトーンのシックなイメージから一転、当時アイビールックと言われていたような

トラッドな服装になった。

生活を一変させた。

 

2年ちょっとの結婚生活も捨てて、

ある日突然荷物をまとめて実家に戻った。

自分勝手もはなはだしい、と思うけど、その頃の私は、

一端こうと決めたら、思い留まることもなかった。

 

突然戻ってきた娘を見て

「どうしたの~」と言ってそれ以上は何も言わなかった母は、

最初からこの結婚の成り行きは分かっていたようにも感じた。

 

ただ、この後思いもよらぬ展開になる。

このいきさつ、私が多分、一番悪い子だったと思うんだけど、

なんと鳥原先生が「被告人」になってしまった。

 

そう、この私の勝手な行動は裁判にかけられてしまったのだ。

そして訴えられたのは、私ではなく鳥原先生だった。

 

人を好きになるには理由はいらないけど、

人と別れる時には、理由もいるし、負のエネルギーもいる。

 

そう万有引力に逆らうのは、膨大なエネルギーがいるのだった。

 

。。


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