私は、6年生を卒業させて、そして次は1年生という、華やかな学年を担任させていただいた。
小学校へ赴任すると、誰でも一度は担任してみたい学年である。
何と言ってもピカピカの1年生なのである。
『先生は神さまよ』と言っても「へー!そうなの~」と反応してくれる。
何とも素直でかわいい学年なのである。
あの小学校の1年から6年というのは、体も大きくなるが、
知恵もつき心も豊かになっていく時である。
だから、最初の1年生というのはけっこう重要だから、
やりがいが更にあるのかもしれない。
私はその頃、授業研究や子どもたちと過ごすのがとても楽しかった。
そして、教師として学校教育の中で流行っていた「合科教育」というのを進め、
当時研究指定校だったその小学校で私は、「合科教育」の研究授業をするという機会をいただいた。
教師4年目にして、名誉なことだったと思う。
「合科教育」というのは、その名の通り、教科を合わせて教えること。
特に低学年では国語、算数、理科、社会と別々に教えるよりも、
自分たちの生活に密着させながら、あらゆる科目を取り混ぜながら学習した方が分かりやすい。
そこで私は「ごっこ学習」を考えた。
「買物ごっこ」をするのだ。
社会にはどんなお店があり、何を売っていて、何を買うか。
そして誰からどうやって買うか、
お店をつくり、商品をつくり、お金を作って実際に買物ごっこをする。
今思い出してみると、いわゆるマーケティングのさわりを
子ども達とともに学んだと思う。

研究授業
写真はその研究授業の風景。
そして、私はその頃、大学時代からずっと長かった髪をバッサリ切った。

一年担任
おかっぱヘアになった。
ファッションも変えた。
モノトーンのシックなイメージから一転、当時アイビールックと言われていたような
トラッドな服装になった。
生活を一変させた。
2年ちょっとの結婚生活も捨てて、
ある日突然荷物をまとめて実家に戻った。
自分勝手もはなはだしい、と思うけど、その頃の私は、
一端こうと決めたら、思い留まることもなかった。
突然戻ってきた娘を見て
「どうしたの~」と言ってそれ以上は何も言わなかった母は、
最初からこの結婚の成り行きは分かっていたようにも感じた。
ただ、この後思いもよらぬ展開になる。
このいきさつ、私が多分、一番悪い子だったと思うんだけど、
なんと鳥原先生が「被告人」になってしまった。
そう、この私の勝手な行動は裁判にかけられてしまったのだ。
そして訴えられたのは、私ではなく鳥原先生だった。
人を好きになるには理由はいらないけど、
人と別れる時には、理由もいるし、負のエネルギーもいる。
そう万有引力に逆らうのは、膨大なエネルギーがいるのだった。
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