自分史 第13話 第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ

自分の歴史
6年担任

やめてやる~!と思った教師生活2年目だったが

石の上にも3年というのか、3年目にはいると仕事も急激に面白くなった。

一通り仕事の内容が分かったこともあるし、いわく付子どもたちも3年目となれば

少しは扱いに慣れる。

 

そして私が赴任した小学校は、当時文科省の研究指定校だったので、

授業に対しても学校環境つくりにしても熱心で、それなりに優秀な先生が集められていたと思う。

私も最初に社会人として教師デビューしたのが、この学校であったことはとても恵まれていたことだと、

今になって思う。

 

ここからの話は、私の人生のややこしい話のベスト3に入る。

4年生から付き合った子どもたちも6年生、私もそのまま6年生の担任になる。

学年の初めに職員全員写真を撮るが、その時の写真の一部を切り取ってみた。

6年担任

6年担任

左は6年2組の私26歳、右は6年3組の1年後輩の鳥原先生24歳。

そう、鳥原先生…現在の夫である。

私は当時別な家庭があった訳で、どうしてそうなったか。

 

ここからは単なる言い訳をする。

仕事は楽しくなってきた。

家庭はあまり楽しくなかった。

家に戻っても相方はまだ仕事。

朝の出かける時間もすれ違い。

休みの日も相方は時々仕事、もちろんちょっとだけ一緒の時間も楽しんでいたとは思う。

でも、まだ若い自分は結婚生活に対する憧れがあった。

一緒に食事、一緒に眠り、一緒に休日を過ごす。

と思っていた。

そのちょっとしたギャップが淋しかった。

今思えば、私が仕事が楽しくなってきたのと同じで、

相方も仕事が面白くなってきた頃だったのだと思うが、

その時は分からなかった、気づかなかった。

もっと、理解していれば…と今思っても、

若い頃は今以上に勝手な自分だった。

 

私の気持ちのほんの隙間に、楽しい時間があった。

同僚たちと仕事したり、食事したり、飲みに行ったりする時間。

 

ある日、食べて飲んで…鳥原先生に車で送ってもらう時があった。

事件はその時に起きる。

多分、お互い「遊びのつもり」ということにしていた「つもり」だった。

鳥原先生は、教師2年目で若く、チャラチャラしていたので、

どうやら、そこそこ女の子にモテていたらしい。

そして、この私ともこっそり付き合っていただいた。

 

人を好きになっていくのに、理由はいらない。

万有引力だ。

 

私たちは、6年生の担任を一生懸命勤めた。

私のクラスは相変わらずの大騒ぎ、隣の鳥原先生のクラスは、

右向け~右、というと右を向く、私とは正反対のクラス経営をしていた。

そして、鳥原先生の得意な社会の授業と、私の得意な図工の授業の担任を交代する、

なんていう勝手なことをしていた良き時代だった。

子どもたちも、そんな私たちの仲の良さを少しずつ気づいていたと思う。

修学旅行など大きな行事を抱える6年生は充実した1年だった。

私は卒業を迎える子どもたち一人ひとりに、色紙に子どもの顔を描いて渡した。

卒業式

卒業式

 

忘れられない卒業式を終え、私の若い結婚生活も勝手に卒業してしまった。

 


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