4年2組・・・先生1年生の私はとにかく一生懸命だったと思う。

放課には子どもたちと遊んだ
はじめての担任がいわく付の学年。
ちょっとでも手を抜けば、見透かされてしまいそうな怖さもあったのかもしれない。
よって、なめられてはいけないと思い、時に厳しかった。
今だったら、教育委員会に訴えられそうだが、平気で子どもたちを殴っていた。
暴力教師…というよりは、言うことを聞かなきゃ体罰というのは、
その頃の先生は当たり前。バットや竹刀を持って歩く先生もいた。
私は廊下に追い出したこともあったし、平手は痛いから、と言って4人くらい並べて
履いていたスリッパで顔をビシャッ、ビシャッとやったこともあった。
実は後で親が何か言ってくるのではと心配していたが、
その頃の親は教師に対する信頼も理解もあったと思う。
何も言われずホッとした。
この4年2組の中に、最近35年以上の時を経て再会した子もいた。
彼のお母さんは当時の自分とさほど年齢も変わらず、若くかわいいお母さんだったのが印象的。
そしてその彼に聞いたのだが、この4年2組の教え子の中に、
名古屋○○座の社長になった子がいたのには驚いた。
殴られちゃった子たちも、ずいぶん頼もしく成長したのは嬉しい。
そしてこの学年、私は6年生までお付き合いをした。
思えば男子がいたずらっ子だった。
次の年5年2組もまた、最高の歓迎を受けた。
教室の扉を開ける。
と、黒板消しが降ってくる。
なんて古典的、かつカワイイ歓迎・・・
となれば、次の仕掛けもおよそ予想はつく。
椅子の上に画びょう。
驚きつつも、まあまあ微笑ましいいたずらに私は笑ってやり過ごした。
日々、こんな繰り返してはあったが、一番大声を上げてしまったのは、
「先生、先生、これ見て」と呼ばれて、その子の引き出しの中から登場したのが、
大きな食用カエルらしきカエルを見た時。
窮屈そうにカエルが引き出しに納まっていた。
子どもたちは私のキャー!が嬉しくてしようがない。
キャーと言って、その後はどうしたか覚えていないが、
その後も彼はヘビとも一緒に登校してきた。
いじめの標的は私だ。
5年2組は最強で、授業が始まり職員室を出て、自分のクラスを窓越しに眺めながら向かう時、
いつも教室中大混乱、席を立って大騒ぎのクラスを、まず静めることから始まった。

職員室の自分
2年目のジンクス・・・
私は先輩の女性教師からも目を付けられ、
体育のジャージが白いから下着が透けている、とか着ているものがどーとか、
上の先生に告げ口され、呼び出される。
それが子どもの教育になんの関係があるんじゃ、
と悔しくで家で泣いたこともあった。
新聞を広げて転職コーナーをのぞき、辞めてやる、
とも思った教師2年目だった。