自分史 第10話 第一章 生まれた街で 浪人生活~愛知教育大学 

自分の歴史
成人式母と

私には、実は5歳年上の兄がいる。

いろいろあって、今は音信不通で行方しらず。

生きていれば、もういいおじさん。

兄といろいろあった話は、後々書くとして。

 

その兄は私と同じ横須賀高校を卒業し、大学は東京の大学に進み、

そのまま就職し以来実家には戻ってこなかった。

よって私は中学二年から母と二人暮らし。

母は料理や手芸は上手だが、片付け下手でちよっとだらしなく、よく私が家中を掃除していた。

変にお嬢様育ちなところを忘れていなくて、

着道楽、食道楽、毎週のように知多から名古屋のデパートへお出かけしていたと思う。

父は出て行ってしまって、そんなにお金があった訳でもないのに

お医者さまの奥様気分はそのまま。

「私は働いたことがないから」とのんきに過ごす母は、私には時折反面教師でもあった。

尊敬するのは父と母、という方も多いと思うが、その頃の私には、

両親、とくに目の前にいる母の存在は疎ましかった。

だから、ここにずっと母と暮らしていたら、母のようになってしまうのでは、

という気持ちもあって、ここから、この家から離れたいと思い、その機会を待っていた。

 

成人式母と

成人式母と

 

大学3年の頃だろうか、いろいろお盛んだった私は、高校1年の時同じクラスだった男子ともお付き合いしていた。

そろそろ、大学を卒業して将来のことを考える時期、

教員養成大学に入って、絵を描くことを選んだ私だが、

教師になるつもりはあまりなかった。

仲の良かった同級のお嬢様たちは、お医者さまと結婚するの、と早くも安閑とした将来を決めていた。

美術家の連中は何が何でも先生に、という風潮もなかっただけに、

私は好きな絵の道を選んだにも関わらず、これからどうしていいか迷っていた。

そんな時付き合っていた彼に。

「どうしよっかなー。これから」と話していると、なんと

「教師になったら結婚してもいいよ」

と言ったのだ。

今思えば、もちろん彼のことは好きだったし、結婚という言葉は嬉しかったけど、

何よりも家を出られる、というのが最大の喜びだったのだと思う。

ただ、彼のその私にとって決定的な言葉の意味の真意は、未だよく分からない。

変なプロポーズの言葉だと思う。

「教師になったら」後に教師になって思いもよらぬ展開になるなんて、

誰もしらない。

でもきっと私のことを思って言ってくれたのだと思っている。

 

そして彼の家は3世帯が一緒に暮らすような、その時の私にとっては

まさに憧れの家族があった。

 

家を公然と出られる、そして今までには味わったことのない新しい生活が始まる、

まさに私の人生が変わる時が来た。

 

大学時代真剣に勉強などしてこなかったが、大学4年生、採用試験のために、

その時ばかりは、短期集中詰込勉強。

何が何でも合格しなきゃ、目的のある勉強は効果的だった。

教師、その聖職と言われるような職業に就こうとした、最初の動機はなんと不純なことか。

 

 

 


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