高校3年生、受験生。
なのだが、大いに高校生活を楽しんでしまった私は、すっかり勉強に出遅れた。
2年生頃には学年の半分くらいまで落っこちた。
何とかなるわ、と思っていた私は、畏れ多くも3年のクラス編成では国立理科系を目指すクラスにいた。
3年になって、付き合っていた一年年上の彼は東京の大学行った。
それでも、しばらくお付き合いをしていたような気がする。
東京の彼の下宿に行ったことを覚えている。
でも、メールも携帯電話もない時代、そうそう長くは続かず、自然消滅となる。
晴れて、これで私も受験勉強に打ち込めるかと思いきや、2年までの楽しんだツケ、
勉強の仕方もおぼつかない。
いつだったか物理で赤点(平均点の7割以下の点だったかな)を取ったら、
驚いた物理の先生が心配して、特別個人授業をしてくれた。
おかげで物理は好きになったけど、残念ながら成績には反映されず・・・
50人近いクラスのみんなは賢くみえた。ちなみにこの中で女子は3人だけだった。

女子3人だけの高校3年生 中央が私
私は担任の先生の薦めた安全牌の大学は選ばず、
どこに行きたいという訳でも何になりたいというわけでもなく、
医学部も考えたけど、薬学部を受験し、すべて惨敗。
若干のショックの時期もあったが、とりあえず河合塾に学費を納めていただいた。
花の浪人生活がはじまった。
凝りもせず、再び国立理科系クラスへ。
医学部を目指す子たちも多い。
私はなんとここでも、席の近かった男子にお付き合いを申し込まれたが、
お互いそんなことしてる場合じゃないと気づいたか、
仲のいいお友達として切磋琢磨して塾通い。
ただ、この男子、後に素晴らしい姿になって私の前に現れることになるのだ。
塾通いも夏になる前頃から、何だか疑問を感じていた。
このまま、私はどこへ行く、何になる・・・?
もう、受験勉強から逃げたかったのかもしれない。
地元のミスコンに出たり、アマチュアカメラマンのモデルに応じたり、
フラフラして、少し肩で風切ってすかし始めた頃でもあった。

地元のミスコンに出たとき

すかした その頃の私
何をしたいか…何が好きか…
好きだった絵を、もう一度描きたいと思ったのは、浪人時代の夏頃だった。
私は予備校通いをぴたりとやめた。
そして小さい頃から絵を習っていた先生の所へ出向き、「芸大目指します!」
と言って黙々と絵を描き始めたのだった。