第三章 終の棲家は何処へ 「終の棲家」を創る 第4話

自分の歴史
近所の風景

お引越しまであと6日

 

なかなか全ぼうを現わさない新しい住まい・・・

え、本当にできるの? というペースだったので、引っ越しの日を決めて尻を叩いた。職人さんはいつだってマイペース…、それでいいものができるのならいいけど、納期も大事よね。

 

新しい住処ができあがっていくとともに、今住んでいるところの引っ越し準備も大変だ。かれこれ2週間以上、モノの処分に奮闘して、ダンボール詰めが始まった。すでに30個以上の段ボールが積み上がる。

山積みのダンボール

前回の12年前の引っ越しは、ほぼ家に存在したものをそのままスライドして、あまり捨てることなく引っ越してきた。

ところが、今回は息子も独立し彼に関わるものとか、なかなか捨てられなかったもの、そして新居には不要な家具などの処分があって、一大事。

結婚した時の嫁入り道具として残っていた、食器棚、洋服ダンス。これも新居には不要。食器棚は30数年の時を経ていい味が出てきたところだったが。

食器棚

洋服タンス

一番恐ろしいものは引っ越してきてから12年間、一度も開封したことがないもの、さらに恐ろしいものは・・・なんと結婚する前にお互い交換日記のようにやり取りした手紙の数々。恐る恐る封を開けて読んでみると、ベタベタのラブレターではなく、教師時代のお互いの日常の些細なことが綴られていた。

こんなことがあって、こう思った、だからこうしようね、的な。今でいうとラインでのやりとりのようだ。

そんなやりとりの手紙が2年分、衣装ケースほどの大きさのダンボールにぎっしり。確か前回引っ越しの時、旦那さまにお伺いしたら「持っていこう」と言われてそのまま持ってきたと思う。今回は「もう捨てるね」とこちらから切り出した。でないとまた「持っていこう」と言いそうだったから。

交換日記みたいな手紙2年分

もし私たちが突然死んで、もし息子が見たら絶対処分に困るだろうなと思うようなものは処分する。今回の引っ越しはそんなことも念頭に入れた。自分が母親を見送って残された物のほとんどは処分した。子どもの身になれば、親本人が大切にしたもののほとんどが自分にとって価値のないモノであることは私自身が感じたこと。「モノ」はその程度のものなんだろう。

 

次の引っ越しはもうない、あるとすれば老人ホーム行の時。その時は、もっともっとモノを減らして入居することになるから、今のうちから終活だ。

過去の生活や思い出の数々の品はすべて心の中に引っ越して、身軽になって新たな生活をしよう。

 

そして12年、ここでの生活はとても快適だった。賃貸マンションにしてはオシャレな外観、床暖房もついて冬も暖か。

夜のマンション外観

何より朝起きると、目の前の森から鳥の鳴き声、このマンション近くの風景も好きだった。

ベランダからの景色

名古屋大学、南山大学が近く高級な住宅街の中にあって住人も静かだった。

近所の風景

オマケにいわくつき物件(入居当時のことなので今はおそらく時効?)だったので周囲が思うほどお家賃も高くなく、経済的にも助かった物件だった。

 

いざ離れるとなると、惜しい気もするけど、今は新しい生活環境への期待の方が大きい。大切なものは今ここにある気持ち。

荷造りもあと少し。あまり使わない物からダンボール詰められて、最後の日までダンボールに入れられない物がルーティンの象徴。ダンボール1~2個ほどの物と気づく。

今度こそはシンプルで選りすぐりの生活をしたい、と思う。

のは今だけか・・・。

今日、まだ畳もふすまもできていない・・・建具も未完の部屋にテーブルが入った。

お気に入りの家具職人から。

ウォルナットのテーブルとイス

 

今日もまた、片づけだ。

 

 

 

 


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