第三章 終の棲家は何処へ 「終の棲家」を創る 第1話

HIME企画
日本庭園

2018年の年末にブログをこのカタチ変えて、まずは自分史を綴ってきた。

それは、章立てになっていて、

「第一章 生まれた街で」

自分の生まれた街での幼少期から大学まで過ごした知多を舞台にした話。

 

「第二章 ちょっと寄り道して 君住む街へ」

学生から社会人となり短い間に結婚を2回して…。教師時代から現在のマルワでの仕事、そして子育てを中心にした話。舞台は名古屋市。

 

「第三章 終の棲家は何処へ」

それまで会社の近くに住んでいたのを、息子が大学生になって家を離れると同時に引っ越しをし、また夫婦二人の生活になるとともにHIME企画を立ち上げ仕事の幅を広げた。

それから母がなくなり、息子が結婚して孫が誕生、というところまでを綴って

そこからは新しい単元でくぎってきた。

  • 「還暦を越えて~初めの一歩」
  • 「昭和生まれ令和を生きる」とつないできて今年コロナ禍で64歳の誕生日を迎えた、という話しまで綴った。

ということで現在は「第三章」、タイトルは「終の棲家は何処へ」ということだった。2008年に会社の近くのマンションを引き上げて現在のマンションに引っ越して12年たった。結婚して名古屋に来てからは3か所めのマンション暮らし。現在のマンションは名古屋大学、南山大学といった大学の近くで、高級住宅街の中にあるいわくつき賃貸マンションは、住むのにとても環境がよく居心地がよかった。

 

自分の家を持たないカタツムリ生活は、楽だった。近所付き合いも気にせず、掃除もカンタン、少々建具が傷ついても平気、施錠も玄関の鍵ひとつかければ安心だった。

 

だが…ついに、結婚してから35年、お気楽な賃貸生活についに終わりを告げることになった。

 

義母が高齢で一人暮らしだったことや、少し認知症の気配もしたので、近くの老人ホームに入ることになったからだ。

 

よって義理の父と母が建てた立派なお家を譲り受けることになった。

このお家、もう築40年であるがとてもしっかり作られていて、そのままでもまだまだ十分住める家だった。

さにら、今はもう作り手も少なくなった日本庭園付きだった。

日本庭園

私はそのまま入居してもいいと思っていたが、旦那さまは最初からリフォームしてから入るつもりだったようだ。

5月末に義母は老人ホームへ入った。

そこからリフォーム会社探しが始まり、慌ただしい2か月の試行錯誤の結果、8月にリフォーム会社が決定。そしてやっと本日8月25日着工となった。

 

実はこのリフォームをお願いした会社、なんというご縁なのでしょうか・・・。

10年前、同じ塾で学んだ女性の会社。ほんとに偶然10年ぶりに連絡があって私に仕事の依頼があったのだ。このタイミングで…私はこれは「縁」だ、と感じた

10年前から彼女の理念も人柄も変わらず、言いたいことが言える。これならきっと満足なリフォームができると違いない、と思い、私たちの「終の棲家」の作り手になった。

 

彼女の依頼もあり、これからしばらく終の棲家ができるまでのリフォーム便りを書いていくことにした。

 

内装を壊す前に、まずはすべてを空っぽにすることから始まる。

と、その前にお祓いだ。家じゅうを清め祓い、40年の喜びも悲しみも歴史の中に献上する。

リフォーム前のお祓い

そしてお祓いを済ませた性が抜けた多くの「思い出」は「モノ」となり、そのモノたちを処分する。改築工事の安全を願い、そして邪気を祓い、厳粛厳重なお祓いを終えリフォームは始まった。

神棚も一端一掃された和室

下の写真は今回のリフォームのインになる改築前のキッチンとリビング。これを抜いて大きなリビングダイニングになる…はず!

40年前にしては、とてもオシャレで機能的なキッチン、リビングだった。

改築前のキッチン

改築前のリビング

 

 

 

 

 

 

下の写真は北の和室、ここは洋室になり仕事部屋になる予定。

北側の和室は洋室になる予定


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