昭和生まれ令和を生きる  第9話 私は私以外何者でもないですから…

自分の歴史
年に数回の外食

年に数回叔母との外食

「私は私以外何者でもないですから…」

の言葉は先日83歳になる叔母のラインでもらった言葉。

 

叔母は私の母の一番下の妹で、5人兄弟の末っ子。

他の兄弟も亡くなってしまったし、この叔母は独身だったので、

小さい頃から親しく付き合っていた私が彼女にとって頼れる身内となっている。

独身…結婚のチャンスはあったらしいが、才色兼備の彼女のお目にかなった方がいなかったと聞いている。

南山大学英文科卒業後ミキモトに入社。

定年まで勤め上げた彼女は、その頃まだ珍しいミキモト初の営業部長まで上り詰め、その顧客は大手建設会社の社長夫人や地元資産家のご婦人たち。

展示会やパーティで彼女が身に付けるものは、オーダーメイドのドレスにミキモトの高級品。お客さまはそれを見て、またミキモトの商品が欲しくなる。お客さまにとても可愛がっていただきながら営業成績を伸ばしたらしい。

私とは20歳年の差があるが、若い頃、私から見てもきれいな人だな~と思っていた。

そんな人だから彼女の若い頃のモテ方は半端なかったらしい。お店にドーンと花束を抱えてやってくる殿方を、惜しげもなく次から次へと片づけた、なんていう武勇伝もよく聞いた。

かっこいい!

そんな彼女も定年後は朗読会や合唱サークルなどで楽しんでいたが、軽い脳梗塞を患って、足や言葉に少し障害をきたし不自由な生活を強いられるようになってしまった。

しばらく一人暮らしを続けていたけど、部屋の中で転倒してますます足が不自由になってしまったのを機に自ら老人ホームに移ることに決めた。

その時の彼女の決断も早く、立地の良かったマンションを購入額同等金額で売却、自分の愛着のあるものだけ残し、老人ホームへお引越しとなった。

その時、私は彼女のミキモトの貴金属やまだ十分着られそうな服をどっさりいただいた。

叔母のお下がりのジャケットやネックレスたち

この年齢の方は、定年まで働いた後の年金はかなり潤沢で羨ましい限り。老人ホームの多分一番大きい部屋に暮らしている。

彼女は足が不自由でヨチヨチ歩きの子どもよりゆっくりしか歩けないのと、耳が遠くなった。でも老人ホームに入ってからスマホに変えてラインを覚えた。

だからその場で口頭で会話するより、このラインの方が私にとっては都合がいいし、彼女にとってもストレスがないみたい。

老人ホームの日課の中で彼女が好きなのは、テレビでのスポーツ観戦、それは相撲、ラグビーから野球、マラソン何でも楽しむ。そして読書。スポーツや文化、芸術を楽しむというのは頭を柔らかくしておく秘訣のようだ。

さて、冒頭に戻るがラインでこの言葉が飛んでくるまでの会話はというと

叔母「6階の空いた部屋に新しい女性がはいりました。何だか本当に老人ホーム…という感じです」

私「本当に老人ホームってどんな感じ?」

叔母「なかなか言葉では表しにくいけど…

年寄りだから仕方ないけど、食べ方やなんか薄汚れた感じはいや。少し認知があるけど、家族の気遣いか、こざっぱりしたものを着せてもらっている人もいる。いろいろな人がいるけど、何だかそれぞれの今まで生き方が出ているみたいな気がします。」

私「老人ホームはいろいろな人がいると思うけど、ポジティブにとらえているから、いいんじゃないの?

おばちゃんは、おばちゃんらしく過ごしてください」

と私なりに励ましたつもり。すると返ってきた言葉が

叔母「ええ、私は私以外何者でもないですから」

だった。その後、新しく入ってきた女性の年齢が104歳と分かり

叔母「私長生きしたくない!」

「でも年とっても、そうは見えない年の取り方もあるよね」

という会話だった。

とても自尊心の高い彼女だからこそ、そんな老人ホームでもたくましく生きていけるんだと思った。

そして実は私も彼女同様、自分大好き、「私は私」と思っている。

さてさて、私もそして彼女も、人生何年か…

神のみぞ知る。

 


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