「僕ねサンタクロース、中学頃までいるって思っていました。いや、ほんとは今でも、いるって思ってるんですけどね」
と言ったのは30はとうに過ぎた男性だった。
5年くらい前の話だが、私は心の中でこいつはロマンチストなのか、いや大丈夫か…といささか冷ややかにさえ思っていた。
が、最近そんな自分を深く反省した。「サンタクロースはいる」ということがやっと分かってきたからだ。
たまたまラジオの英会話で100年も前のアメリカの新聞の社説が流れていたのがきっかけ。英会話そのものはあまりよく理解できていなかったけど、解説を聞きながらグッとくるものがあった。
そして訳された本を読んでみた。
「サンタクロースっているんでしょうか?」
その一節には、
「サンタクロースは愛や、思いやりや真心が存在するのと同じように存在する。
サンタクロースがいないことは証明できない。」
と書いてある。
私はもう何十年も生きてきたのに、こんなことに気づかなかったんだ、とはっとしたのと同時に改めて「大切なもの」が分かった気がした。

「サンタクロースサンタクロースっているんでしょうか?」と「脳と仮想」
以前、茂木健一郎の「脳と仮想」という装丁が美しいというだけの理由で買った本を、何気なく読んだら面白く、その内容も「ねえ、サンタさんていると思う?」という少女の声をふと耳にしたことから考察されたことであった。
「仮想」から生まれたサンタさん、そのサンタさんのプレゼントには無償の愛がある、というようなことが書かれていた。そこにもサンタがいないことは証明できないと書かれていたと思う。
その時にはピンとこなかったけど、今回はピンときた。
とかく目に見える現実しか認めない脳ではあるが、その目に見えるものの向こうには心がある。
物欲の多い邪心だらけの私には、目に見えるもので満足しているところがあったが、実は本当に心が満足しているのはそんなものじゃない、ということが分かった気がした。
よく何のために仕事をしているの、と問うと「お客さまに喜んでいただくために」と私たちは言う。
お客さまに良い商品を届けるために物づくりをしているわけだが、モノを届けるために仕事をしているわけではない、と言い切っている。
「喜び」という目に見えないもののために私たちはモノを作っているわけだ。
だとしたらサンタクロースだって、お願いされた「モノ」を届けているわけではないんだよね。
「よい子」を愛するその印をプレゼントとして置いていくわけだ。
よい子はそのサンタの存在である無償の愛に喜ぶ。
私の満足だって、やっぱり愛情や喜びに他ならない。
「サンタクロースはいるわよ」
と自信をもって言いたい。
ただし、可愛い孫に告ぐ
「サンタクロースには手紙を必ず書いてね」

孫には無償の愛を
今年も間もなく終わり。
あまり更新できなかったブログだが、一年の最後に自分の気づきを忘れないように書き留めた。
今もこれからもずっとサンタクロースはいることを信じて。
一年このページをのぞきにきてくださった方、どうもありがとうございました。
あなたにとって、どうぞ2020年が素敵な一年になりますように、心よりお祈りしています。
そして来年もまた、あなたにサンタが来ますように。
よい子でお過ごしくださいね。