小さい頃の記憶は断片的で、印象としてしか残っていないが、父はよく病院のお仲間を家に呼んでパーティーをしていた。
たくさんのお料理、お酒、そしてダンスをしていた。レコードのダンス音楽が流れていたのを覚えている。賑やかだったけど、その時間は自分はそっちのけなので、なんとなく淋しかったのも覚えている。
そんな派手やかな雰囲気とは裏腹に、父と母の間の険悪なムードは子ども心に感じていた。
多分私が5歳の時、父は家を出て行ったと思う。それから父は、時々帰ってくる通いお父さんとなった。
どういう時に帰ってきたかは分からないが、父は私の通っていた幼稚園の園医さんだったし、近所の方を時々診ていることもしてあげていたと思う。

通っていたカトリック幼稚園
小学校の時、「由美のお父さんって家にいるの?」と質問する友だちもいた。子どもは残酷だ。
薄々知っている家庭の内情を探られているようで、私は「うん…、時々」とその頃けっこう暗い気持ちで答えていた気がする。
変な家庭はますます、エスカレートする。
時々父は子どもたちだけを旅行に連れていってくれていたりした。東京まで飛行機で連れていってくれたこともあった。父も負い目があったのか、いろいろなおもちゃも買ってくれた。
私は小学校2年くらいの時だったろうか、ある時旅行先で突然
5~6歳の女の子2人を紹介された。
「君の妹だよ」って。

父と旅行先で
小学校2年で、この衝撃的な言葉のくだりが理解できただろうか・・・。全然分かってそうにないはしゃいでいる妹という2人がいた。
それからしばらくして、この妹たちと父と、妹たちのお母さんの住む家にも招待されることになる。
子どもだったから…できたことなのか。
今、こうして書いていると、まったく変な家庭だったと思う。
ただし、この頃感じやすい年頃になっていた私の兄は、平気ではなかったと思う。兄の話はまた後々書いていこうと思っているが、大学入学とともに家を出て、途中は変な家庭を自ら築き、現在行方不明。生きているのか、いないのか…。たった一人の兄弟なのに。残念でならない。
振り返りながら、今私がこうして家庭を持ち、変な家庭ではない生活ができていることのありがたさを心から感じる。